フィリップ・K・ディック

フィリップ・K・ディック(1928年〜1982年)は、アメリカのSF、純文学作家。

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ディックほど後の世のクリエイターに影響を与えたSF作家はいないと言われています。もちろんその範囲は広く、現代哲学から美術などまで及んでいて、中でも本家SFの分野では、ウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」〜「モナリザオーバードライブ」を経て、ウォシャウスキー兄弟の佳作映画「マトリックス」シリーズに繋がっていたりしています。
誤解を恐れずに述べてみると、ディックは人間という種固有の感情をベースに作品を作っていないように思えます。それは意識とか意識下レベルを表す作業なのかもしれませんし、普遍性や美といった類いの一端を見据えていたのかもしれません。ジョイス以降の文学や、興行目的の映画などは、ほとんどが人の感情の上に組み立てられるエンターテインメントですから、当然ディックの世界を表現しきることは不可能でしょう。だからこそディックの作品は、文学を超えた感じがしたり、原作とは随分と違うテイストの映画になってしまうのかもしれないと思います。
ディックがデビューした頃、原稿料が安いため週に1本のペースでSFの短編を書いていたと回想録にありました。読者として読んでみると、すぐさまディック独特の世界へ引きずり込まれ、いつの間にやら彼の敷いたトリックに嵌ってしまい、どれもがユニークで、時に想像や理解を軽々と超えた展開の作品ばかりです。ハイペースで書いていたとは信じられないアイデアの数に圧倒されてしまいます。
好きな映画にリドリー・スコットの「ブレード・ランナー」があります。しかし原作の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」とは大分趣の違った仕上がりになっています。ディックのアイデアをモチーフに、感情の葛藤を主表現へと変えたハリウッド的名作です。テリー・ギリアムだったらどう作ったのか、キューブリックだったらとか想像してしまいます。他の映画も同様です。「アルベマス」が完成したのにまだ配給されません。「流れよ我が涙、と警官は言った」の映画化の計画もあるようです。
まだディックを読んだことの無い方へ 、一読をお勧めします。短編集「パーキー・パッドの日々」なぞからいかがでしょうか。

15. 4月 2012 by ssnnim
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