Harry Callahan

ハリー・キャラハン(1912年〜1999年)はアメリカの写真家。

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初めてハリー・キャラハンと出会ったのは学校の図書室でした。戦後バウハウスに居たモホリ・ナジの主催するシカゴ・デザイン研究所に教授として招かれたのですから、同じ系派の作品が載っている雑誌が置いてあったのも不思議ではなかったのかもしれません。なかでも無数に積まれていたLIFEは写真集としても見応えのある雑誌でした。ある日そのLIFEに載っているニューヨークかシカゴの街の写真に目がとまりました。今思うとシカゴに違いないのですが、街と群衆を写したシリーズ写真でした。モノクロで群衆を写しているのに音を感じさせない静寂の作品。その中に奇異な写真が幾枚かあって、驚きながらも吸い込まれてしまいました。街を行く人の中の一人か二人がカメラ目線で笑っているのです。ふと、ここに写っている群衆全員が役者なのかもしれないなと思うと、すごく感動してしまいました。そしてハリー・キャラハンに取り憑かれてからしばらく、学校の現像室を無断使用し続け、挙句の果てに謹慎処分になってしまいました。
想像ですが、ハリー・キャラハンは写真の持つ記録性という足枷から、なんとか逃れて新しい表現を模索していたのかもしれません。他の創造分野と違って、時空座標上のある瞬間を、誰が作ったのか分からないカメラという装置を使って射影する写真は、あった事を記録するという前提から逃れられないのではないでしょうか。その点では故植田正治氏ほど割り切れず、方法論を模索していたのではないかと思えたりします。
テレビで良く見かける戦場カメラマンが、優れた報道写真は中から声が聞こえて来るというようなことを言っていました。比べると美術としての写真はミニマルで無音の世界に至るのかもしれません。これはストレートフォトとピクトリアリズム系作り込み写真の対比のようでもあり、また画面内のほとんど全てを作り込むコマーシャルや、映画の世界の凄さを感じずにはいられません。
余談ですが、後年映画ダーティー・ハリーを見た時、ドン・シーゲルやクリント・イーストウッドはハリー・キャラハンを尊敬しているのかなと想像してしまいました。

 

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31. 1月 2012 by ssnnim
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